不退転の意思をもつ未熟者の記録

2021年に逆転サヨナラ合格の中学受験をした子を持つ親の記録です

戦が終わりました。そして今だから話せること。

約1年前からブログをかけずにいましたが、昨日2月2日ですべて終了しましたので書けなかった分をこれから一つ一つ書いていきます。

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戦い切りました。。

 

この約1年間、記事を書くほどの心の余裕も、時間的な余裕も持つことはできませんでした。
自分、不器用なもんで・・

 

我が子の受験人生を管理しつつブログで書き綴ることのなんと大変なことか!
しかもどこまで公開すればよいのか判断もつきませんでした。
それでも去年の春先はまだブログを書き続けようという意地が1ミリ程度ありましたが、、

精いっぱいやって、「地図」で力尽きてしまいましたwww

futaiten78.hatenablog.com

 

これから書くことは、今後中学受験をする予定の方々に向けて書かせていただこうと思います。

「こんな中学受験もあるんだ」と思っていただければ、幸いです。
もちろん事実です。

内容はいくつかテーマを分けて書いていきます。
今回は基本情報をお伝えします。

■不退転の意思を持つ未熟者■
我が子がこの世に生を受けた時から中学受験をさせるつもりだった。
当時は全寮制の学校をメインに検討し、子供が年長になる頃たまたま進学塾Sを知り、新1年生で入塾。

 

■今までをざっくりご紹介■

クラスは多く、我が子は4年までは中の上位~上位を主にメインとして在籍。
5年はα下位~中位のあたりにいたが、新6年からじりじりと後退。

去年の春まではα直下→夏には2ブロックほど下降→秋はさらに下降。
今思えばあれが「スランプ」だったのか。

成績が思うように伸びない泥沼状態にはまり、さらに私が体調を壊して1週間寝込み、その次に我が子もダウンし2週間ほどまともに通塾できず、12月中旬までずっと苦しい状態が続いた。
もちろん、志望校別模試では毎回惨敗。第1~3志望は20%より上の数字を見たことがない。

むしろあまりにも毎回変わらない結果がかえって麻痺を起こしたのか、最後の最後まで志望校は変更しませんでしたw
(それどころか、これは行けるかも?と血迷い1校増やしましたし)
・・志望校についてはいずれまた詳しく書きます。

変化の兆しが見え始めたのは正月特訓以降。過去問の2周目をこなしだしたあたりからあれだけ苦戦していた問題を「なんでこんなもん間違えてたんだろう」と言うようになった。
・・過去問についてもいずれまた。。

受験は王道に乗っかり、1月10日からの埼玉、20日からの千葉、そして2月1日東京で全11戦を計画。
この時、最後の模試の成績からするとチャレンジ校状態の学校は半分以上でした。。

■結果■
すべて、合格。
第1志望が決まった時点で2月3日以降の受験はなくなったため、全5戦で終了。

S偏差値は見るも無残で、12Mこそ4科平均54ほどまで戻りましたが、その次のSOでは4科平均50も行かなかった状態。本人曰く腹に刺し込みが来たとのこと。。
その時点で第1志望まで偏差値が10以上も離れていました。

頭によぎるのは、毎年3月ごろに行われる保護者会で、進学先をαブロックから順に紹介するシーン。。
「範囲なしのテスト〇回分の平均で出る偏差値が最終的に合格する学校の偏差値です」
というセリフ。
普通に考えれば、チャレンジ校はやはり合格は無理で無茶な選択になっていました。

でも、、法則性ではないと思いますが、それがひっくり返ることはあるんです。
最後のクラス分けテストの12Mで3ブロック分跳ねたのがひっくり返る兆候だったのかもしれません。
過去にも我が子と同じように最後のクラス分けで跳ねて逆転合格をしたのが、知り合いを通じて家庭教師となってくださった元S生の先生でした。

その事実があった分、不退転の意思を持ち続けることが出来ました・・

次回以降、

過去問の進め方、戦略
志望校への布陣
役に立った(立たなかった)もの
自習の進め方
基地(家)の様子

など、詳しく書いていきたいと思います。