読売さんの一面で、
「この公園には滑り台をする」
というモヤモヤするような気持ち悪い文章が載っていました。。
昨日か今朝のニュースで、若者の読解力が低下していると話題になっております。
中受生の一親としてはかなり耳がダンボになるほど気になる話題。。
読売さんの記事では読解力を「国語力」に変換されているようで、文章を正しく読み取れない、言いたいことを正確に伝えられない若者に対して危機感を覚えている有識者が上記の文章を例に挙げて嘆いているそうな。
加齢による度忘れで「アレがあれしてAREになるんでしょ?」なんて言う私のような人間は論外。
そんな論外の人間すら使っているSNS(特にLINE)が諸悪の根源のように書かれておりますが。。
確かに、スタンプでさえ「草」「ワロタ」「それな」「りょ」というセリフが書かれたかわいいイラストも当たり前のように見かけますし、文字を変換すればもれなく絵文字も選べるサービスもあり、なんとなく「この場合は絵文字を使って表現することもありですよ~」と誘導されている感覚もあります。
そしてそれを使う私。そしてそれを使う子。そしてそれを使う老年の母。。。
(母の文章は怪文でもありますが)
ただ、、私の個人的な感覚なのですが、今挙げたSNSで生まれた言葉はあくまでも「もともとの日本語(言語)を知っているからこそ敢えて生み出した言葉やおせっかい機能(絵文字のこと)」なのでは?と思ったりもしてしまいます。
人のせいにするのって楽ですし。。
英語でも略語や俗語、絵文字もありますが、それはどう解釈されるのでしょうか。
「For→4、You→U」とか、上記の「りょ」と大して変わらないと思いますが。。
だから何かLINE語のせいにするということが腑に落ちないのです。
「言葉遊び」の方がしっくりきます。
むしろ、書く作業や機会が減っていることに大きな原因があるのではないでしょうか?
今の高校や大学の論文提出がどの程度の頻度かは分からないので、こんなことを無責任に書くのは申し訳ないのですが、中受生の親の目線だと、中高一貫の進学校の説明会や文化祭では論文の発表作品が掲示されているのをよく見かけますし、その他掲示物の文章もよく書かれていることに感心してしまいます。
このようなことは各学校で、どのくらい行われているのでしょうか。
要するに、多くの文章に触れることで読解力も表現力も身につき、結果的に文章を書く力へと結び付く、と論外の人間が言うのも何ですが。。
読解力不足はもっと根深い原因(書く機会が減っている問題だけではない原因)が別の場所にあるように思えます。