30年ほど前の2月、私は母親の勤め先へ電話し第1志望に落ちたことを伝えました。
「落ちた」と言った瞬間、涙があふれ、何も言えなくなってしまいました。
母親からいろいろと慰められましたが、覚えていません。
ただ一人、家の中で泣いていた記憶だけが残っています。
自分の経験を教訓に、我が子の第1志望に対するメンタルセットは
「現実的ではないけど行けたらサイコーな学校」
にしていました。日頃の会話でももちろん第1志望のネタで盛り上がることはありましたが、「まぁ、行けたらいいよねぇ」と付け加えていたり。
私は当時、第1志望を熱望していました。レベルも手が届くほどでしたし、試験の問題も難しく感じませんでした。ただ、結局、その学校には通えなかった。
今でもその学校のことはいい学校だと思っています。きっと永遠の憧れです。
通うことになった学校は、1度も行ったことのない、名前だけ知っている程度の学校でした。
ただ、入学後にいろいろとその学校を知れば自分に向いていた所がいくつかありました。そして、ウマの合う友人がたくさん出来ました。縁を感じました。
そういうこともあります。
ついに迷宮を脱出
千葉校の対策は十分ではなかったですが、分析作業自体の手ごたえは7割くらいはあり、一番恐れていた「時間切れ」はありませんでした。
分析した中身はまだまだ粗削りでしたが、しっかりとした手ごたえを感じていましたし、千葉校の合格で少し自信が持てました。
我が子も2周目で間違えた部分を徹底的に潰し、分からない部分は家庭教師の先生に確認し、親子で志望校の問題を見据えることが出来るようになりました。
そして本丸、第1志望の対策を始めました。試験日まで2週間。
1回目に加え、2回目も受験することを決め、わずかな可能性に賭けてみました。
すでに千葉校で要領がつかめたので、東京校の分析をするときは、ある程度傾向が見えた時点で子供に問題の要所を伝えられるようになっており、2週間で2回目の準備も十分にできると考えていました。
子供のレベルはまだ過去問2周目でも、最低点にすら満たない日はありました。
なにせダメもとですから。。
しかし、1周目よりもしっかりと勝負が出来る点数になっていました。
2周目とは言いつつも、最新の問題は去年の夏にやったものなのでほぼ忘れています。それも狙いでした。5か月くらい間が開けば、国語が良い具合に頭から抜けるだろうと踏んでいました。
また、1回目の対策が十分にできていれば2回目の対策はあまり考えなくても良いと途中から考えるようになりました。それは、
入試問題は、志望校の先生の作品でありメッセージである。
と認識したためです。
第1志望は、国語8年分、理科10年分、社会3年分を書きだしました。
特に理科は本当に落とし込みが面倒でしたが反面、とても面白い内容で先生がどのように構想を練っているかを勝手に想像するほど、分析に入り込めました。
試験の前日に、「あの学校の先生なら、こんなことを考えそうだね」と仮想の問題について親子で話していたことを覚えています。
過去問分析の迷宮は、なんとか脱出できました。
1回目と2回目の合格通知は、脱出できたご褒美のようでした。
毎年Sの入試分析会で配布される「教科別入試問題分析」にも、このようなことが書いてあります。
”中学入試問題には、学校ごとに特色があります。・・・・・このような傾向の違いは、それぞれの学校の教育理念・校風などの違いを反映しています。したがって、入試問題は「本校はこんな学校です」「こんな問題に対応できる生徒に入学してほしい」との「メッセージ」ともいえるのです。”
この一説を体得できたように思えます。